恋愛相談恋愛相談室
年下男性を好きになりそう(2)
日時: 2011/07/26 15:54
名前: ぼんさい

ROWさま、みなさま

15少年漂流記、読みました!最後の戦いの場面など夢中になって
一気に読んでしまいました。あの時代に生きることがどんなに大変だったか(といっても彼らにとってはそれが当たり前だったのでしょうが)。

むろんフィクションの世界が現実にそのままあてはまるわけではないのですが、比喩的な意味で興味深かったのは、大陸から遠く離れた孤島と少年たちが思っていたチェアマン島は、実は南アメリカから近い群島の一つだったということです。

私は夫と別れて孤島に流されたような気持になり、今まで助け合って励ましあって二人で生きてきたのに、どうやって一人でやっていけるのだろうかと途方にくれました。それは、手に職をもっているので経済的な意味ではなく、精神的な意味です。彼が好きなこと、彼を楽しませること、彼を思いやること。それが生活の大半とは言いませんが、私にとってとても大事なことだったのです。

それが一つの制約であることはわかっていましたが、私は喜んでその制約を
受け入れていました。本来は大都会の人間なのに、結婚してから7年も地方都市に住んだのも、その後別の国に移住したのも彼の希望だし、私は深く物事を考えず、彼が操縦する船にお客として乗っていただけなのかもしれません。適応性があるというかいい加減?というか、私は自分のポリシーを主張せず、あまり違和感なく彼に合わせていました。別れた後何人かの友人に「あなたかなり無理してたでしょ」と言われ、驚いたのを覚えています。全くその自覚がなかったのです。

みなさんの恋愛相談を拝見して思うのですが、「私はこうしたい、こうありたい」というポリシーをしっかり持てないで悩んでいる方が多いのではないでしょうか。むろん10代、20代の方にそれを期待するのは難しいと思いますが(私も20代の終わり頃まで自分のことがよくわからなかったと思います)、「彼がああだからこう」、「彼のことがわからない」、「彼にこういうことをされたけど、好きだからどうしたらいい?」といった内容が大半ではないでしょうか。

自分の例にあてはめると、皆さんは「あ、ぼんさいは怖がっているな、断られるのがいやだから告白しないんだな」と思われるかもしれませんが、現在の状況では*私にとって*告白するメリットが全くないのです。「あいまいな関係はいや」とか「言いたいことを言ってすっきりしたい」という明確な願望があるなら、それはそれでいいでしょう。そうなら自分で決めて実行し、結果がどうあれ後悔しないでしょう。

ここ数年の苦い経験から、「今度好きになる人は私を評価して、大事にしてくれる人」というポリシーを決めました。私が無理して相手に
合わせるからではなく、素の私を愛してくれる人。そのような人は世界に1人か2人しかいないのではないかと思うと不安で悲しいけど、その感情に負けていてはいつまでたっても成長できないと思います。

仕事等の事情からしばらく距離を置くことが自然な展開になったので、彼が私のポリシーに合った人なのか、他に自分にもっと合っている人はいないのか、いるとしたらどのような人なのか、などを見極めると共に、今私にとって何が大事で、何をすれば満足感を得られるのか。次のパートナーに何を求め、何を提供できるのか。こういったことを少し考えてみるつもりです。ROWさんがおっしゃる通り人を好きになる心は失いたくないし、アンバランスな相手を好きになった自分を責めないで、「こういうこともあるさ」とあっさり受け入れようとしています。

本題からややそれてしまいましたが、一人で孤島に流され通りがかりの船を待つ運命だと思っていても、実は大陸は予想外に近く、何かのきっかけで帰りつけるかもしれません。そのためには失ったもの、ほしくても手に入らないものに執着するより、流れに逆らわず、様子を見ながら今できること、やるべきこと、やりたいことに集中した方がいいのではないでしょうか。私が15少年漂流記から受け取ったメッセージはこれだと思います。

長々と失礼しました。フィードバック大歓迎です!





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Re: 年下男性を好きになりそう(2) ( No.1 )
日時: 2011/07/30 00:06
名前: ROW

こんばんは。

わざわざ読んで頂いて本当に恐縮です。私もその作品を通して色々と共感し、自分自身のその時の境遇と重ね合わせたものです。だからこそぼんさいさんの意見に込めた次第ですが・・・。

まさしく“フィードバック”ですよね。私以上に深い見識、思慮に富まれるぼんさいさんでしたら、一層「実になる」事とお察しします。

寧ろ逆に文面を拝見してぼんさいさんの大変優れた長所・個性について非常に感じ入りました。前にも言いましたが、私の方こそぼんさいさんから色々と「学びたい」程ですね(本音です)。

ご自分が「今何をしたいのか」・・・その所謂“ビジョン”を的確に理解し、するどく俯瞰している方なのだという印象を強く抱きました。私もそうありたい、と常々思っていますし、本を読むのも経験のひとつとしてフィードバック、を望んでいます。

あらゆる経験は脳内のアルゴリズムを構築して筋の通った手立てを導いていくための手引き。・・・というと些か機械的に聴こえるかもしれませんが、硬軟使い分けた行動を理想としてます。論理的整合性の充分に取れた行動を念頭に、感情や情緒に彩られたユニークな固有の世界観も遵守する。つまりは“バランス”の問題です。

ちょっと今日は時間が取れませんでしたので、また明日あたり改めてコメント述べさせて頂きますね。

それではまた。
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Re: 年下男性を好きになりそう(2) ( No.2 )
日時: 2011/07/31 22:09
名前: ROW

こんばんは。

お返事が遅れてどうもすみません。今、自分のPCが壊れて使えない状況ですので家族のPCを借りていますが、暫く頻繁なお返事のやり取りは控えざるを得ません。取り合えず、既に書き綴った分をこちらに投稿させて頂きますね。ほんの少しでもぼんさいさんのお役に立てれば幸いに思います。

改めまして「15少年漂流記」原題2年間の休暇、にわざわざ目を通して頂きまして本当に恐縮です。ぼんさいさんの「解釈」は私以上に的確かつ明確で、非常な感銘と共感を少なくなく覚えました。私もそのお話から色々と示唆され、身につまされたり教え諭されるなりしたものでした。だからこそ、私の経験を、前回のぼんさいさんへの回答として寄せた所以です。

チェアマン島は、故郷から遠く離れた絶海の孤島、ではなく以外にも近い場所に構える群島の一つだった。「物理的な距離」の実態とはまた別にいちど住み慣れた環境から半ば強制的に離され、孤立無援の(尤も彼らには境遇を同じくする仲間、がいましたが・・・)状況下において、何かしら「精神的な距離感」をその胸中に抱いてしまう。

彼らの心、精神は常に多くの人間が住まう「社会」に向いている。知性と理性、何より「言葉」を習得した時点で、彼らは野生的な動物と一線を画しているのです。野生には野生のコミュニティーがあるにせよ、それは「文化」の様相とは本質的に異なるものですね。彼らは皆「文化・文明」の恩恵を享受し既に「学んで」いる。

結局彼らは「生来からの無人島の住人」、それも言葉の喋れない動物の類ではなく飽くまでも文化社会をバックボーンとする思考能力を持つ「人間」であるのです。

人間が、「人間」たる所以のひとつとして、例えば「自分自身について」考える力が個々人にはある。より強く優れた抽象的な理解能力を例えば「知性」として捉えられます。通読された小説を通したぼんさいさんの「自己」を振り返り、行動や動機の意味合いについて自ら解釈し、論じる姿勢もまた同じです。

ぼんさいさんは「過去の経験」から得た様々なリアルな感情を「客観視」して今後の行方、行動方針を冷静に模索されている。孤独感も連帯感も「精神上の孤島」から知悉し、理解されそして自分自身を見据えるための感覚上の「参考」とされている。

つまり学校や専門施設での学習とは異なる経緯で獲得した極めて貴重な「知識」ですね。チェアマン島の彼ら15人の少年達も「文明社会」での知識を応用しつつ「孤島」での生活に必須な知識、あるいは知恵を身につけた。ぼんさいさんの言う「フィードバック」が孤島での暮らしに多いに役立った訳です。

彼らは過酷な環境を「生き抜くため」にそれこそ必死で思考をめぐらし、試行錯誤を繰り返しました。彼らの行動はある意味で「恋愛」など別種のシチュエーションでも時には生かされるものです。「恋愛」もまたつまりは「人生の課題」であり、解決すべき問題は生きる、生活する上で(例えいかなる環境下でさえ)山積しています。

ぼんさいさんの「悩み事」−今、私の拙い意見を通して出来る限り明快な解決手段、手法を模索している段階ですが・・・、

そうですね。こと人に関しては先にも述べた「(自己を)省みること」が思索の中心となり得るでしょう。

少々、専門的になりますが、フィードバックを含めた学習に向けたそのような自省の過程を「メタ認知」と言うのですが、訳文を交えながら此方に明記してみましょう。(続きます)
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Re: 年下男性を好きになりそう(2) ( No.3 )
日時: 2011/07/31 22:10
名前: ROW

メタ認知とは、認識についての認識、若しくは知識のための知識として定義されている。メタ認知は多様な形相形質を取り込む。例えば学習や問題解決のための具象的な戦略、方策や方法論を講じる際に求められる知識を含む。メタ記憶、とは記憶や記憶する方策についての知識であり、メタ認知の特に重要な一形質である。複数の文化間に渡るメタ認知の過程に関する差異は依然広く知られないが、教師や学生間の文化交流を通じた学習における一定の成果は順当に上がっている。ある進化心理学者はメタ認知は生存競争に有効な手段として、即ち複数の文化間に同様かつ同時に網羅され形成された仮説を立てている。メタ認知に関わる見解の言及は古くは少なくともギリシャの哲学者、アリストテレスの「デ・アニマ(霊魂論)」「自然学小論集」にまで遡る。

(「メタ認知」の表現を初めて用いたJ・H・フレイベルの記述によると)

メタ認知はある対象の知識が、対象自身の認識過程を、若しくはそれらに関連する何か、つまり情報や資料としてのその対象の持ち得る(知識としての)関連学習事項を熟考する状況を意味する。


メタ認知は三つの概念に大別される。

1.メタ認知的記憶(またはメタ認知的気付き):個々人が認識的プロセッサー、演算処理機構としての彼ら自身について、そして他者について知ること。

2.メタ認知的規制:認識の規制及び学習のコントロールを試みる人々を助成する挙動の設定を通した学習経験。

3.メタ認知的経験:現行継続する自覚された努力と何らかの関わりを持つ各種の経験。

※補足

1.自分が用いる方法がどのような問題解決のときに、最も効果的なのかを知っている

2.どのようなやり方が有効か、十分考えてから課題に取り組む

3.問題の中の重要な部分に意識的に注意を向けている

4.自分がどの程度よく理解できているかについてうまく判断できる

5.問題が解けたとき、自分がどういう方法を用いたのかを知っている

6.問題に取り組んでいるときに、うまくいっているかどうか、定期的に自分でチェックしている

7.勉強するときは、その目的に合わせてやり方を変える

8.課題や問題解決を行うときには、計画を立てる

9.考えが混乱したときには、立ち止まり、もとに戻って考えてみる

メタ認知は学習状況時に用いられる思考の過程を越えた挙動制御を含む思考レベルを意味する。学習課題へのアプローチのための方法論の発案。内容了解のチェック。課題完遂に向けた進歩状況の査定。これらは生来から備わるメタ認知的な技術に相当するものである。同様に、課題完遂を見届けるための動機、モチベーションの維持もメタ認知に関わる技術のひとつである。集中力を奪う刺激(内的及び外的要因の双方)に注意を注ぎ、長時間かけて(課題に)取り組む能力もメタ認知或いは実行機能に含まれる。


以上になりますが、如何でしょうか。こうして「俯瞰」をしてみるとー実にぼんさいさんの此方に提示された意見は様々な示唆を含んでいます。

例えばー


>ここ数年の苦い経験から、「今度好きになる人は私を評価して、大事にしてくれる人」というポリシーを決めました。私が無理して相手に合わせるからではなく、素の私を愛してくれる人。そのような人は世界に1人か2人しかいないのではないかと思うと不安で悲しいけど、その感情に負けていてはいつまでたっても成長できないと思います。

「ここ数年の苦い経験」を知識として反映するは主観的、客観的な判断の基準をバランス良くとり、「更なる改善、努力を継続」する手立てとされています。そこから発展して

>仕事等の事情からしばらく距離を置くことが自然な展開になったので、彼が私のポリシーに合った人なのか、他に自分にもっと合っている人はいないのか、いるとしたらどのような人なのか、などを見極めると共に、今私にとって何が大事で、何をすれば満足感を得られるのか。

上手く「精神的な距離感」を測量しつつ、今後の状況展望を見据えベターな関係を模索されている。

経験を知識に変換し、一層の(健全な)経験を経て、その人生を(可能な限り)コントロールする。

私の意見に関して良くも悪くも「一方通行」的な批評判断に留まった時点で「学習」の継続は期待できません。ぼんさいさんは(受け入れるか否か兎も角)私の意見も含めた意見見解を「参考」に非常に多角的、複合的な視点を持って理解をし、そして新たな指針を構築されている。

それもこれも、全てはご自身を十分に「知っている」ために初めて可能となる姿勢でしょう。自分自身と言う「核(あるいは確固たるポリシー)」があってこその「メタ認知」が、そして「メタファー」の提示が功を奏すのでしょう。


私がぼんさいさんを「尊敬する」所以でもありますが・・・、やはりぼんさいさんは「自分を持たれた方」だと思いますよ。

私のアルゴリズムは未だ「不完全」ですね。もっと「己を知り、他者を知ろう」と痛感しています。
220.148.211.206
Re: 年下男性を好きになりそう(2) ( No.4 )
日時: 2011/08/05 14:53
名前: ぼんさい

ROWさま

メタ認知に関するわかりやすく整理された投稿ありがとうございました。ずっと昔心理学の講義で学んだ記憶がありますが、実践的な内容にいろいろと考えさせられました。

「距離を置くのが自然な展開」は双方の事情にあるのですが、私に限っていえば仕事の繁忙期と学校のプロジェクト(これも仕事の部類に入るのですが)の締切が重なり、おまけに趣味のサークルの仲間の間でちょっとした危機が勃発し、毎晩遅くまで仕事と勉強しながら相談にのったりして、ほとんど彼のことを考える時間も精神的余裕もなくなりました。最初は辛かったものの、結局これはいいことだと思うに至りました。「何でメールの1本もくれないのよ、あほ!」という子供のような癇癪を起しつつも、「私に用がないやつには用はないぜ!」と豪快に(?)笑い飛ばすほど元気になった自分が不思議です。

危機は解決に向かい、プロジェクトは今週末予定通りに納品する予定で
、あとは来週末に終わる繁忙期を乗り切ればノーマルな生活に戻ります。多分その時が一番危険でしょうね。あえて彼のこと考える時間を制限するためにプロジェクトを新たに引き受けるか、別のことに没頭するか(手がけたい案件がいくつかあります)、趣味のサークルに復帰して様子を見るか。選択肢が多ければ多いほど自分の人生をコントロールしているという実感がわきます。

それは錯覚であり、実際人生を完全にコントロールすることは不可能ですが、一つの成功体験として今後も応用できるでしょう。

恋愛という本題に戻りますと、私のH君に対する「好き」という気持ちは不完全な知識に基づく我欲であり、「愛」ではないですね。他のスレッドで「愛とは何ぞや?」というテーマが上がっていますが、本当の愛は相手を全く
縛らず自由にし、相手の幸福を願うことである、とフロムなどが説いていますね。むろんカップルや家族など利害関係が濃厚な場合そう簡単には割り切れませんが、少なくとも今の私の希薄な人間関係において、それを実践することは我欲という足かせを除けば難しくはないはずです。

本当にこれでメタ認知を応用して成長しているのか、単にストレスを避けて
逃げまくっているのか実際はわかりませんが(笑)、真剣に悩んでいる皆さんから見ればこれは悩みの部類に入らないのかもしれませんね。











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