これまでのまとめ |
- 日時: 2012/05/13 21:20
- 名前: 何も理解できない人間
- 何度も申し訳ございませんが、今回の投稿で4回になります。
あらゆる思惑があり、それが正解なのか不正解なのかも全く分からず、ただ先行き不透明感だけがある。もしかすると本文中に答えがあるかもしれず覚えている範囲内で書いてみようと思います。 最初の投書を行った際私は友情 愛情を考えることは皆無に近いと書きましたが、起点は一体どの辺かを考えるうちに小学生からそれは始まっていること判明し原因が当時の生活の困窮という結論でした。当然ではありますが当時小学生である私が収入があるわけもなく高価なものは当然買えるわけもない母子家庭であった私は時に高価なものが欲しかった。もちろん手には入らず同級生からは持っていないといわれ馬鹿にされていました。連日同じことの繰り返しで友人とは、あのような者を指すのであるという解釈から友人が欲しくなくなり一貫して今日まで友情は、ただのトラブルの元であるという自論を持ち続けもし私が何かの困難に遭遇しても人間が助けに来るのではなく自らが助け、あらゆる機材が助けてくれる。同じ人間は混乱に乗じ火事場泥棒的なこと又は他人の不幸を喜んだりするだけであると断定し、16歳のころは友を否定し孤立化を深める一方で他人を目の敵にし心の狭さを強調する等々復讐心を燃やし金と労力を使う事に奔走していました。 一方で恋愛はといえば10代前半には女性から罵詈雑言を浴びせられたり家屋周辺で馬鹿騒ぎされたり中年女性の井戸端会議等々で女性に対しても強い怨念を抱くようになりそれは今日に至るまで変化することなく恋愛を行う機会があっても最初は一生懸命取り組んでも相手の気を引き付けるころに止めたり気分が悪くなり職場そのものから身を引いて拒否を行い行方不明になる等回避行動に出ることが多々あり原因が全く特定が出来ずに何年も経過していました。やがて一人でいることに安堵感を覚え山奥で渓流釣りをするのが大好きで(実際渓流釣りを行っている人は一人でいるのが好きらしく集団行動がとれない人も多々いるらしい。)いつの日か自己愛が極端に強く、集団行動が全くとれない偏屈人物像が形成されてしまったと思っています。また最近では皮相的な事はうまく隠し通していますけれども、いつまで隠せるか疑問です 近年私は新潟中越地震で多くの人が犠牲になり消防隊員が救出しているその姿を見て有事の際に個人でありながらも救助活動 不審車両の追跡警察へ報告を行う等指針を考えました。通常はボランティア活動は団体行動が基本ですが私は一人で行動をとるのが基本です。(東日本大震災発生時、行方不明者の捜索、物資支援、老人の方一人を安全な高台へ誘導するのがやっとでしたけど。) この様な事が過去の投書にも描写されているようにも思えてなりません。皆さんはどのように思えますか。 あと自分で何らかの行動を起こすまでは今後本サイトへは投書しません。いつまでも面白くないからといって甘えるわけにもいかないものですから。
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