恋愛相談恋愛相談室
フラれました
日時: 2011/06/19 01:30
名前: みみが〜

今日、フラれました。

忙しくて何年も恋愛から離れてて、
しばらくぶりに心底好きになった人でした。

メールとか電話とかが嫌いな人だったから会う約束をしたあと
全然やりとりができなくて、もっと話したいって思いながらも
我慢して、会ったときにいっぱいしゃべるっていう関係を続けてきました。
会えるのも月に1回が精一杯でなかなか距離が縮められませんでした。

縁がなかったんだから仕方ない。
もう「もっと話したいのに・・・」って苦しまないで済む。

そう思うようにして無理矢理自分の中で納得させようとしてますが
会っていっぱいしゃべったときの記憶が蘇ってきてかなり辛いです。

なかなか距離が縮まらないながらも、気になってるんだっていうのを
伝えましたけど、ちゃんと自分の思いを告白することができませんでした。
今度食事に行こうって誘ったら「もう会えない」って・・・

今、底なし沼にはまっててどん底まで落ちてます。
ショックでまったく眠れません。
辛いです。苦しいです。悲しいです。
涙が止まりません
121.93.164.131

Page: 1 |

Re: フラれました ( No.1 )
日時: 2011/06/19 19:07
名前: ROW

こんばんは。




みみが〜さんは女性の方、なのでしょうか。文面から察して女性とお見受けしますが違っていたらすみません。

さて

「もっと話したいのに・・・」「もう会えない」。

夫々の相対する言葉の裏に潜む相反する感情。ご自身の「意向」に添えない、あるいは添わない相手にたいし今、みみが〜さんがどう思われていらっしゃるのか・・・。心中、拙くもお察しします。

どうした訳でしょうか。私は(飽くまで私個人の印象ですが)みみが〜さんの相手に向けられた文面の「言葉」には、憎しみや怨嗟の意識があまり感じられませんでした。私は寧ろみみが〜さんの辛さと苦しみから産まれた「表現」に触れ、深い感銘を受けました。

ひとつひとつの言葉の音階、が至極麗しい旋律に「聴こえ」たのです。失礼ですが・・・。でも本当に率直な感想です。頭に響く旋律の調子が重く切なく、何よりも「綺麗」に映えていたんです。

ひとの悩み事をひとつの「作品」、それも芸術的な表現に見立ててしまう態度もどうかとも自分でも思いますが・・・。何故でしょうね。でもどうしても感じてしまいます(すみません)。

記憶・・・は言ってみれば「過去の産物」です。ご存知の通り最早「現実」でも「現在」の事象出来事でもない。抱いていた「想い」もまた心の中、にしまい込まれ表にはもう出ない。しかし切実な気持ちを、切実なままに「思い出」として昇華するにはあまりにも鮮烈な「リアリティ」がある。彼の仕草も、言葉も、そのひとつひとつが鮮明に再現され“今この瞬間”に影響を与え及ぼしてしまう。無機的な記録、としてどうしても無感情に処せず、況して澱(おり)とも残滓(ざんし)とも無碍に見做せない。

彼、という現実社会に生きる「実体」に身近に触れる事も掴む事も出来ないけれど、ことある毎に恰も「隣にいるような」奇妙な存在感を「実感」されてしまう。「彼」は今、みみが〜さんにとって“実体はないが実感はある”霞がかった心の中の存在です。実際の現実社会での彼の活動状況に関わりなく、兎も角みみが〜さんの頭の中で確りと「彼」が息づいてしまっている状態、なのですよね。決して「思い出」や「記録」としての存在ではない。そこに現時点での悩みが集約されている。

「言葉」は生きていますね。

差し向ける側も、受け止める側も夫々の考え、意図に基づいて自律的に振舞われています。「もう会えない」別離を促す言葉には、彼なりの「誠意」をきっとみみが〜さんに込められていたのでしょう。寧ろ「中途半端で好い加減な」気持ちを持ったまま煮え切らない関係を続けたくはなかった。きっぱりと彼の意向を伝えて、みみが〜さんをこれ以上悩ませないように“気遣われた”。

みみが〜さんは「もう会えない」という言葉に込めた彼の配慮、ひとつの思い遣りを「分かって」いらしたのではないですか。なるべくみみが〜さんを傷つけないかたちで決別を促した彼の「優しさ」を理解されていた。こちらに寄せた彼への表現にたいし「恨み」や「憎しみ」の心情が読み取れない所以です。

けれども憎悪の意識とは別に「彼」の存在にたいし「苦しまれて」いる。その本質的な“優しさ、誠意”を知る程に(実際に生きている方の)“彼”にたいする拘り、愛着愛情を捨てられない、のですね。今もって「もっと話したい」気持ちを持たれている。だからみみが〜さんの言葉を通した気持ち、も未だ「生きて」いるのですね。しかし“脈々と”息づいているにも関わらずその“言葉”が「外の世界」に開放される事も「報われる」事もない。

「過去に起こった記憶で、その記憶が無意識に思い出されかつそれが現実に起こっているかのような感覚が非常に激しい」状態を所謂“フラッシュバック”と定義されますが・・・。勿論今のみみが〜さんの感覚は「トラウマ」、心的外傷の類でも病的なものでも全くない事です(当然ながら)。ただ過去の出来事、が“まざまざと思い出され”苦しみ悩む状態には違いはありません。

「苦しんで」いるのは・・・それだけ「好き」だから、“今この瞬間”も彼を愛されているためですよね。そしてみみが〜さんの想いを当の彼が受け止めないため、ですよね。内面の葛藤は至極当然です。でもみみが〜さんは「気持ちの押し付け」はきっとなさらないでしょう。彼の「優しさ・誠意」を尊重されるのは、つまりはみみが〜さんがとても「優しい」方、だからでしょうね。そして皮肉にも「自分自身の優しさ」にみみが〜さんが「傷ついて」いるのです。彼の誠意を汲み取る程に、いたわりの心を持つだけ「傷ついて」しまう。

二律背反した愛情表現をこちらに「絞り出すように」心を込めて綴られ、密やかに懸命に「耐え」ている。そのようなみみが〜さんとみみが〜さんの心、に私は感銘を受け、奥ゆかしい「詩的」な感性を察しました。

フランスの初期ロマン派の作曲家、ベルリオーズは自身の“失恋”から、1830年に最初の交響曲「幻想交響曲」を手掛けた経緯があります。夫々の楽章の中で繰り返される旋律「イデー・フィクス」、一種のライトモティーフは楽曲を通した彼自身の絶え間ざる「愛情・愛着」表現の反映、と言われています。

そしてみみが〜さんもその作曲家と同じく、苦しみ悩む感情を「表現」されました。“真摯で真剣な心が篭る”程に、読み手聴き手にいっそうの普遍的な共感を与える。一度表現された「言葉」もときに「楽譜」と同じ、ひとつの“作品”足り得るものなのでしょう。

まだ涙は枯れないのでしょうね。でもそれは「生きている証」です。活き活きとした感性、感受性を持たれている何よりの証なんです。少々メルヘンチックな言い回しですけど、涙は心の潤滑油、ですよ(考えようです)。泣くだけ泣いて潤いの水をちょっとずつ注いで、大事に慈しんでご自身とご自身の心をゆっくり「育てて」いきましょう。

涙はね、「枯れない」んですよ。

「悲しい涙」、「悔しい涙」、「辛い涙」、「楽しい涙」、「嬉しい涙」そして「切ない涙」。

本当に、涙には色々な種類がありますね。その何れも枯れる事はない。何故ならば涙を流す人には個々の、夫々の「感情」があるからです。涙は感情表現の一環であり、生きている限りその精神活動の「源泉」は枯れないのです。“無尽蔵”とさえ言えます。

感情感覚の齎す独特の質感、を「クオリア」と言い表されるんですよ。心の赴くままに“泣く”行為も「クオリア」、感覚質のひとつなんです。様々なクオリアを受け止め受け入れながら人は「生」を実感してゆく存在です。

「底がない」のはどろどろした粘性の高い「沼」に囚われたからではなく、
瑞々しく潤いのある「感覚の泉」から瞳を通して止め処なく感情の水が湧き溢れるためです。涙、とはそういうものです。

大丈夫。「明日」はありますよ。生きてさえいれば。生きる意思と力があれば。

みみが〜さんの“優しさ”が活かされ陽の目を見る「明日」を此方から心よりお祈り申し上げます。




長文、大変失礼致しました。
220.148.211.206
Re: フラれました ( No.2 )
日時: 2011/06/19 23:39
名前: まゆ

「もう会えない」

という文面が気になりました。
彼は彼なりに誠実に貴女に向き合っている気がします。

好きな人が、誠実に自分に答えてくれたのだと思えば、辛いですが誠実に返すべきだと思います。

きっとまた素敵な人が見つかります!!
だって男性も女性も世の中には素敵な人がたくさんいますから!!!^^
183.76.113.32

Page: 1 |